きれいな傘をさしたいから雨女になりたい
短歌
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気圧変化にふれる神経、見えないものに触れられるということだ
各駅停車に乗るときに安心したりわずらわしかったり
「泣いちゃうと知っているからマスカラつけない」それでも化粧をして向かうのね
「歯医者ってコンビニくらいあるんだってさ」住宅街であなたの声だけ
先頭で進行方向見る子ども、携帯電話を見る大人たち
路線図の駅どのくらい降りたのか数えてみようか時を流すため
ひとのかお、おなじ組み合わせがないふしぎ確立出したらどのくらいなの
2019.6.22
自己範囲の自認と自衛
人間にはパーソナルスペース(それは物理でも精神でも)が存在しており、他人の侵入を許す範囲が決まっている。自己と他者の境界がどんなに薄く、たとえば暖簾のような人間だとしても、侵入を許さない範囲があるはずだ。
暖簾のようなと揶揄するようなことを言ったが、オープンであることは決して悪いことではない。場面によっては多少、オープンしてみることが功を成したりもする。相手が心を開いているのが判れば、話がしやすくなるものだ。仕事だろうと人間関係だろうと、他人との距離感を縮めたいと思ったときにはオープンに、心を開ける作業が必要である。
ただ、どこまでも心を開ける必要はない。守らなくてはならない範囲を持ち、それがどこなのかハッキリと「自認」しておくべきだ。この自認がない場合、当たり前だが自衛ができない。そして自己の冪等性を保てなくなる。
先に書いておくが、自己の侵害をしてくるような人間がいたらそれは100%相手が悪い。パーソナルスペースに入り込んではいけない、という常識を破るような悪人である。
それを踏まえたうえで、自衛の話をする。残念なことに、意識下であろうと無意識下であろうとも他人へ踏み込んでくるような人間は存在する。大体の場合はその時点で嫌な気分にさせられるものだ。苛立ちだとか、嫌悪感だとか、悲しみだとか、負の感情を抱くことになる。
ところが、相手に対して「負の感情」を抱かせないことが得意な人間もいる。何も悪人だけではない。他人との距離感を縮めるのが上手いということだけだ。ただ、そういう人に対してどこまで踏み込ませて良いのかを自認する必要性はある。私はこれを自衛と考えている。
話の説得力を上げるためにも具体的な話をしたいのだが、私自身の「許す範囲」を書いてしまうと不利益に繋がりかねないので、何か例を挙げることにしよう。
保険の営業なんかはどうだろうか。尚、保険の営業に対しての恨みだとか個人的なバイアスは一切ない。例としてはわかりやすいと感じたので書くことにする。(読んでいる方がもし保険の営業という職務を行なっているのであれば、ただの例え話だと思っていただきたい。そうでないと私自身が他人に対して侵害行為を行なったことになってしまう。)
例え話。
あなたは普段から金銭的に余裕がないと仮定する。余裕がなく、生活費等で手一杯。貯金も殆どない。なので金銭に関しては他人を立ち入らせてはならない状態だと考えて欲しい。
そんなときに保険の営業をかけられた。当たり前だが、答えはノーだ。加入しません。できません。だってお金がないから。
しかし、相手はプロである。断られることなんて想定の範囲内、断られる前提ですらいるだろう。保険の営業の世界をあまり知らないが、最初に断られないことのほうが圧倒的に多いのではなかろうか。ここでゴリ押しをすれば良いというものではない。顧客に嫌悪感を与えてしまえば交渉決裂である。クレームにも繋がりかねない。つまりは悪人と見做されてしまう。そこで重要になるのが距離の縮めかたというわけだ。
「営業マンの距離の縮め方なんて、相手の立場に立って望むことを考えるだけでしょう?」とお思いかもしれないが、距離を縮めるのが上手い人間は「相手」ではなく「自分」をベースにしていることが殆どだ。「相手の立場に立って望むことを提供する」なんていうのは表向きのセオリーでしかなく、こういう思考で営業を行なっているようでは多数の契約をとることは不可能だ。(なんなら、営業に向いていない真面目すぎる性格だと思う。)
プロは「どのように自分のペースに乗せ、同じ土俵にさせ、契約させるか」ということだけを考えている。そして、それが悪いことだとは一切思っていない。自信のある商品を「信頼」によって売るというだけなのだ。逆に「信頼を壊すだろう」と思えば、押し売りをすることもない。あくまで決断をするのはあなただ。
仮定に戻るが、あなたはお金がなく、どうしても保険のためにかけるようなお金はない。だからこの場合はどうしても断らなければならない。しかしどうだろう、営業マンと何度か話をしているうちに「悪くないんじゃないか」「自分のためを考えての提案だし」「お金がないからこそ、備えるべきなのではないか」そんな考えが浮かんでくるものである。そもそも売っているものは悪いものではないのだ。そして相手のことをなんだかんだで信頼してきている。となると、相手は背中を押すだけで済む。保険自体も双方にとって悪いものではないしWIN-WIN。契約完了!
とならないためにはどうするか、だ。
そのためには「自衛」をするしかない。自分はどうしてもお金がないのだから、お金がかかる話だとわかった時点でそれを拒否する以外に選択肢はない。お金に関しては他人を踏み込ませてはならない範囲だと自覚を持っていなくてはならないのだ。
この例え話ではお金としたが、自分の中のあらゆるものや思想に対して同じように自覚、つまり「自認」することではじめて「自衛」ができるようになるのだ。
自認がなければ、いつのまにか他人を受け入れることに賛同していた。という結果になりかねない。
そこには自己の冪同性も何もなくて当たり前である。自己と他者の境界を持たずに、ただ曖昧に他人を許しているような状態では自我がないのと同じだからだ。最初から冪同性も何もない。
もちろん、この話もあなたにとって「許す範囲」なのか見定め、咀嚼していただきたい。
你們是美麗
人間が美しくてびっくりする。
醜いのも人間なのにそれと同じくらい、醜いところすらも人間は美しかったりもする。
人間が美しいのは言葉を持っているからだ。何度も書いている気がするけど、人間は言葉でできている。人格が言葉でできていると言ったほうが正しいかもしれない。
他人と関わるようになったとき、相手を見るのも自分を見せるのも言葉を使う。その言葉を考えて、選んで、口に出す。息を吸って、吐くことよりもずうっと美しいなと思う。
言葉が丁寧でもいい。丁寧じゃなくてもいい。本音がつい出てしまったり、取り繕ってしまったり、嘘をついたりしたとしてもそれは人間にしかできないことで、だからこそ美しい。
文字も言葉だ。書き手特有のクセなんかはその人と対話しているのを感じられるような気がする。そして、残るということには価値がある。
残すことに対してはとても意識しているつもりで、今も「残さなくては」と思って「今日、人間が美しいと自分は感じた」ということを記録している。なぜかはわからないけど、突然美しさにびっくりしたのだ。とても攻撃的で、他人に対して酷く遇らうようなことをする自分がいるくせにこんなことも思う。
それも誰かからすれば、美しいのかもしれない。(自分では全くそう思ったことがないけれど。)
美しいものを全て知って、記録して残すには人生は短すぎる。美しいものを知ることができなくなったとき、人生はひどく退屈で長いと感じるのだろう。
美しいものがわからなくなってしまったとき、私はこの記録を読み返そうと思う。
2019/05/28 中村芽莉
平成26年〜平成31年末日
定刻の10分前からそこに居た高円寺駅の黒い影
眩暈すら覚えるほどの轟音が血の涙となり「今日も生きたね」
深夜バス降りて駆けてく名駅の金時計見下ろした貴方
「大切なことはいつでも目に見えない」咒のように付箋に記す
茶軸キー叩いた音が歪んでく映る文字列全てバグ
午後出社空いてるシートに横たわるこのまま終点まで行きたい
自宅まであと数メートルだヒール脱ぎ逃げ込むように家に入る
叩きつけ歪んだ円描くフライパン社会に於る自分の姿
コンクリと雨を引いてく車輪の音どこかで聞いた波の引く音
ゴミ置場去る回収車すら見えず再び登る重い階段
1日に1話だけ飲めるコミックの消化をしているだけの冬
共に見て名前を調べたあの花は毎年咲くから嫌になる
カーテンの隙間から見た天中も夢が醒めれば腹立たしい
4枚も便箋を使って書いたのに重みはたったの82円
感情を清算するのに有効な手段がお金と悟った7月
なにもないなにもしない日が幸福の味を教えに来てくれた
2010年、秋。
空気がよく澄んだ、10月の朝。夏に比べ気温は随分涼しくなり制服のブレザーを着始めたころだった。私は息を切らしながら歩道橋を渡っている。自殺した友人の家に向かうところだ。暖かくも寒くもない気温は、自分の頭の中を支配する生温い感情とよく似ていて気持ち悪かった。
彼女が死を選ぶに至った事情を、知っていることのはじまりから終わりまでを、彼女の両親に話さなくてはならない。しかし、話すことに意味はあるのだろうか、なんの使命感が私を走らせているのだろうか。何を話したとしても、話の内容や事情がどんなことであっても、彼女はもう喋らないし笑わない。それだけは確かな事実だった。悲しいとか悔しいとかそういう思いもあったはずなのだけど、そういった記憶が抜け落ちているのか、そもそも思ってすらいなかったのか、覚えていることはあの朝の空気と、やけに頭が痛くて悪心がしたということだけだ。未だに秋の空気は好きじゃない。
2日経ってから彼女は棺に入った。私は家族ではないし、亡くなった状態を見たわけでもなかったので葬儀場でやっと彼女と対面した。白い着物ではなく制服を着ている彼女は美しく、眠っているかのようで、不思議だった。そういえば眠っている姿を見たことはなかったなとぼんやり考えながら着席すると、パイプ椅子からキィっと軋む音がしてそれを聞いた瞬間なぜか涙が止まらなくなってしまった。あのパイプ椅子は今まで座った物の中で一番、座り心地が良くなかったように思う。狭い部屋に響く木魚の音と読経の意味は全くわからなかったけれど、彼女が死んでいるということを何度も伝えられているようで、また悪心がした。まだ悲しいという感情を理解していないのに泣いていることが申し訳なかった。
死人というのは暫く連絡をしていない人とよく似ている。姿形が見えず連絡がつかない彼女と、疎遠になった人たちの差は二度と会えないということだけだ。私は一度疎遠になった人と会うことが全くと言っていいほどないので、その差もあまり実感できなかった。じゃあ何をもって死んだとするのだろうか。葬儀があって、棺に入っていて、お経を読まれて、身体が焼かれて、それが死んだということなのだろうか。確かに葬儀は(生前葬を除けば)死んだ人にしか行われない。死を実感できる機会があるならそのときくらいしかないのかもしれない。けれど、私は葬儀においても死を実感することができなかった。
葬儀から暫く経ったある日、突然「彼女は死んでしまった」ということを理解した。特に前触れや動機があったわけではないが、そのときにはっきり悲しいと思って泣いた。彼女が死ぬ前に話したことや、中学校の廊下でふざけあったことを思い出した。ディズニーランドに行ったときの写真を見て、彼女の笑顔を思い出した。悔しくてたまらなかった。
しかし、死んだことを実感して悲しむのは残された側が勝手にすることである。彼女自身は死を選択することで生から解放され,無となり,苦しみからの脱出ができたのかもしれないからだ。だとすれば悲しむべきではないのかもしれない。死んではいけない理由をはっきり説明することもできない。かといって彼女の死を祝うなんてことはできるはずがない。自分の感情と理屈がここまで大きく矛盾したのは初めてだった。
結局、彼女が死んでしまったことに関して折り合いはついていない。こうやって文章に起こすことで、なにか結論を出そうという試みも何度かしているが特に答えが出たりはしなかった。
今回も同様にこの件に関しての結論というものはない。自分の感情を整理するためだけのものだ。
悲しかったことを思い出して、書き連ねる必要はないのかもしれない。楽に生きるならやらなくてもいい。しかし、こうして自分の感情と対峙し何かを導き出そうとすることが、私の原動力となって、確実に今の私を作り上げている。
悲しみを受け流さず、悲しみ抜くということ、私はそれを繰り返して生きていく。
dotSquonk 100w レビュー
今までvape関連の記事を書いていなかったのですが,以前から気になり続けていたdotmodのテクニカルスコンカー,dotSquonk 100w を手に入れたのでご紹介。
本当にいいデザインですね……。
気になっていた重さ(どこにも載ってなかった)は18650バッテリー込みで172gでした。
今まで使っていたRSQ modがバッテリー込みで約195gだったので,かなり軽く感じます。(というかRSQ modが重すぎたというのはあります……。)
テクニカルスコンカーの中では軽くコンパクトだとは言えない部類なのですが、小さくて軽いテクスコはチープな素材のものも多く気にいるデザインがなかったので、この見た目なら良いかなと思っています。
手で持つとRSQ modよりは大きいことがわかります。大きさや重さのわりには丸みがあるのでとても持ちやすいです。マットな仕上がりも手に馴染みます。パネル等、ボディの基本部品がアルミ素材なのでこの大きさでも比較的軽くなるのかと思います。
dotmodのデザインは本当に気に入っていて,dotSquonkを買うべきか迷っていたのですがメカニカルスコンカーということで躊躇していました。(持ち運びの際に電池を抜かなければならないのは普通に面倒くさい)
そんなわけでRSQ modを使っていたのですが,やはりデザインが好みではなく,dotmodが欲しいな〜テクスコだったらな〜と思い続けていたので,テクスコになったdotSquonk 100wが手に入って最高に嬉しいです。
細かいところも凝っていて素敵。
ボトル容量は8ml。RSQが7mlなのであまり変わりません。メカニカルスコンカーのdotSquonkは12mlのようですが,おそらく基盤の分容量を減らしたのだと思います。
パネルが側面に設置されており,ボタンは内部に隠れています。非常にスマートな印象。
表示パネルのカラーはgold,red,blue,tiffany blue,purple,space glay,black,mulch color の8種類でした。(写真はblack)
Berserker MTL RDAを乗せた状態。
dotmod rdaでなくとも充分カッコいいです。Berserkerならゴールドカラーと合いそう。
本当に素敵。大切に使っていきます!
# 重さの件が誰かの参考になれば幸いです。
5/19 追記
galaxies mtl rdaとkemuriドリチの青を載せたらいい感じの見た目になりました。
手当金は卑怯なのか
【2019.3.10 追記】
下記で「ずるい」という表現を用いていますが,「ずるい」直接言われるのではなく要約すると「ずるい」になることを言われるというのが正しく,例えば「あなたより苦しいけど頑張っている人がいるのに」とか「自分の力でお金を得ないと価値がない」とか「他人の金で生活するなんて恥を知れ」等の文言になります。
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結論から言うと卑怯ではない。制度なので。
生活保護や障害年金を貰うのがズルいという人は結構存在する。Yahoo!知恵袋にいるならまだしも,間接的な知り合いや,SNSにもいる。
これは不正受給についてメディアがよく取り上げるせいかもしれないが,実のところ不正受給はほぼありえない。書類の提出は容易ではないし,審査も厳しい。もちろんもらえたら終わりではなく再審査もある。この手続き自体も病態が悪い中でやるのはかなり辛いことだ。受給者は病気だけでなく更なる苦痛の上で金銭を受け取っている。
それでも平等ではないというなら,もし自分が人生の中で金銭に余裕が生まれた時に他人に配るかどうか考えてみてほしい。配る人は殆どいないのではないか。貯蓄するなり欲しいものを買うなり,自分のために使うだろう。しかし平等を主張するならば,その行為は矛盾している。
年金の考えは平等さから生まれている。生活保護や障害年金は最低限の生活をするための補助である。「働きたくても働けない人」に受給するのだ。突然事故に遭って動けなくなるかもしれない,何かしらの原因で大きな疾患を抱えるかもしれない。だれしもそうなる可能性はある。そうなったときのために国全体で平等に助け合っているのだ。働いてないのに金銭を貰える受給者と働いて金銭を得ている人間では苦労が違うという主張はあまりにも表面的である。
本来なら働いて金銭を得るべきだということは理解しているし,働き盛りに働けない屈辱感は物凄く辛い。働いていればボーナスが出て何かを思い切って買うなんてこともあるだろうけど,そんなことは夢のまた夢で,情けなくて泣きたくなったりする。
精神疾患は目に見えない疾患であるというのがまた厄介なところである。誰かと会っているときや出かけているときや文字列を書き連ねているようなときは「まあ元気なとき」なので側から見ると遊んでるだけに見える。だから叩かれるのだろうけど,なぜ文句を言う人たちのために毎日毎日元気じゃない生活しなきゃならないのだろうか。
少し話が逸れるが,文句を言われるという現象が起こってしまった原因の中に,うつや自殺などの社会問題として理解が広がりそうなタイミングでメンヘラという雑な概念が広まったということがある。これにより精神疾患の中身はスペクトラムであるにもかかわらずほぼ全員が同じようにカテゴライズされてしまった。知識がない人間からすればどの精神疾患患者もファッションメンヘラもおそらく同じに見えるので,「あー、ハイハイメンヘラね」って片付ける人がたくさん生まれ,社会的な理解からはかなり遠ざかった印象を受ける。(実際にファッションメンヘラというものもジャンルとして確立している。)
受給者の殆どは国から金銭をもらっているということに対し,制度といえども申し訳ないという気持ちが生まれる。しかしそれは自分の中から生まれる考えだけであるべきだ。心無い言葉を浴びせられて罪悪感を煽られ,申し訳ないと思うことはあってはならない。
あなたも私も自分優先でいい。自分を大切にしていい。何も悪くない。悪いところがあるとすればそれは脳みそだ。
(これは悪意のある発言だが,これだけ説明しても意見を曲げずに「ずるい」と主張するならば,国民の義務を放棄して年金を払わないでいられる仕事を探して転職をして老齢年金も貰うべきじゃない。助け合いに参加したくないのに厚生年金を毎月徴収する会社という組織を選択して働いてるのは自分自身ではないか。)