アスペルガーのいぬ

何を考えたか

フランダースのうんち

こんなことはあまり思っても言いたくないし,口に出さないように生きてきたのだけれど我慢の限界なのでせめて書かせてほしい。


「めちゃくちゃな苦しみを味わって消えてしまえこのクソ野朗が」

 

人間に対して,自分の手を汚さずに勝手に消滅して欲しいと思ったことは何度かあるが頻繁に起こるようなことではない。
そもそも消えてしまえという言葉は,考えることを諦めた人間が何もかもの感情を圧縮して出てくるウンチみたいなもんだ。なので,相手に消えてしまえと思うことは負け犬の遠吠えなのだ。負け犬が置き便していった感じだ。白旗であり茶色いウンチだ。ネットで見かける消えろ(もしくは死ね)という言葉をやたら使う人はボキャブラリーが貧しい。フランダースの犬に出てくる主人公はパンを消しゴムがわりにして,最終的にはそれも食っていたけどそのくらい貧しい。だから私がネットで消えろといくら言われても,それは炭のついたパンを頬張りながら懸命に言葉を捻出したんだろうな,可哀想だ。と思うことになる。(しかしながら,実際に言われると意外と傷つくので驚く)


「消えてしまえ」と思った理由を説明しようとも思っていたがここまで書いて,炭のついたパンを頬張りながら,犬のように茶色いウンチを排泄し去っていく人間がその行為を説明しているかのようになるのは嫌だなと思ったので控えることにする。


感情っていうのは厄介なものだ。美化されているせいだろうか。例えば,「皆勤賞は(褒めるべきなので)表彰する」なんていうのも美化の一つだ。体育会系のノリも同じような美学が存在するように思う。そしてその美化,美学というのは言葉として表現し難く,なんとなく押し付けられたり押し付けたりするものだ。感情論というやつだ。
私は感情論に対しては根掘り葉掘り質問をして,相手の意見を取り出し一つづつ問題を明るみにしていき,出尽くしたところでその考えに対しどう考えているのかを説明するようにしている。
全ての物事が明確に定義されているほうが,理屈がはっきりと示されてクリアーな状態であるほうが,どう考えても分かりやすい。しかし,感情論を投げてくる人間は99%その会話を中断しようとしてくる。別の事例を持ってきてまで辞めさせようとする。

「文字a〜zの中で会話しましょう。文字a〜zについてはaは〇〇で良いですか。じゃあbは…」

「まて,@#/&_"のことはどうしたんだ?」

「…」

 

まるで炭のついたパンを食べて犬のように茶色いウンチを排泄して去っていく人間とそっくりだな。