アスペルガーのいぬ

何を考えたか

2010年、秋。

 

空気がよく澄んだ、10月の朝。夏に比べ気温は随分涼しくなり制服のブレザーを着始めたころだった。私は息を切らしながら歩道橋を渡っている。自殺した友人の家に向かうところだ。暖かくも寒くもない気温は、自分の頭の中を支配する生温い感情とよく似ていて気持ち悪かった。

彼女が死を選ぶに至った事情を、知っていることのはじまりから終わりまでを、彼女の両親に話さなくてはならない。しかし、話すことに意味はあるのだろうか、なんの使命感が私を走らせているのだろうか。何を話したとしても、話の内容や事情がどんなことであっても、彼女はもう喋らないし笑わない。それだけは確かな事実だった。悲しいとか悔しいとかそういう思いもあったはずなのだけど、そういった記憶が抜け落ちているのか、そもそも思ってすらいなかったのか、覚えていることはあの朝の空気と、やけに頭が痛くて悪心がしたということだけだ。未だに秋の空気は好きじゃない。

 2日経ってから彼女は棺に入った。私は家族ではないし、亡くなった状態を見たわけでもなかったので葬儀場でやっと彼女と対面した。白い着物ではなく制服を着ている彼女は美しく、眠っているかのようで、不思議だった。そういえば眠っている姿を見たことはなかったなとぼんやり考えながら着席すると、パイプ椅子からキィっと軋む音がしてそれを聞いた瞬間なぜか涙が止まらなくなってしまった。あのパイプ椅子は今まで座った物の中で一番、座り心地が良くなかったように思う。狭い部屋に響く木魚の音と読経の意味は全くわからなかったけれど、彼女が死んでいるということを何度も伝えられているようで、また悪心がした。まだ悲しいという感情を理解していないのに泣いていることが申し訳なかった。

 死人というのは暫く連絡をしていない人とよく似ている。姿形が見えず連絡がつかない彼女と、疎遠になった人たちの差は二度と会えないということだけだ。私は一度疎遠になった人と会うことが全くと言っていいほどないので、その差もあまり実感できなかった。じゃあ何をもって死んだとするのだろうか。葬儀があって、棺に入っていて、お経を読まれて、身体が焼かれて、それが死んだということなのだろうか。確かに葬儀は(生前葬を除けば)死んだ人にしか行われない。死を実感できる機会があるならそのときくらいしかないのかもしれない。けれど、私は葬儀においても死を実感することができなかった。

 葬儀から暫く経ったある日、突然「彼女は死んでしまった」ということを理解した。特に前触れや動機があったわけではないが、そのときにはっきり悲しいと思って泣いた。彼女が死ぬ前に話したことや、中学校の廊下でふざけあったことを思い出した。ディズニーランドに行ったときの写真を見て、彼女の笑顔を思い出した。悔しくてたまらなかった。

しかし、死んだことを実感して悲しむのは残された側が勝手にすることである。彼女自身は死を選択することで生から解放され,無となり,苦しみからの脱出ができたのかもしれないからだ。だとすれば悲しむべきではないのかもしれない。死んではいけない理由をはっきり説明することもできない。かといって彼女の死を祝うなんてことはできるはずがない。自分の感情と理屈がここまで大きく矛盾したのは初めてだった。


結局、彼女が死んでしまったことに関して折り合いはついていない。こうやって文章に起こすことで、なにか結論を出そうという試みも何度かしているが特に答えが出たりはしなかった。

今回も同様にこの件に関しての結論というものはない。自分の感情を整理するためだけのものだ。

悲しかったことを思い出して、書き連ねる必要はないのかもしれない。楽に生きるならやらなくてもいい。しかし、こうして自分の感情と対峙し何かを導き出そうとすることが、私の原動力となって、確実に今の私を作り上げている。


悲しみを受け流さず、悲しみ抜くということ、私はそれを繰り返して生きていく。