アスペルガーのいぬ

何を考えたか

手当金は卑怯なのか

【2019.3.10 追記】

下記で「ずるい」という表現を用いていますが,「ずるい」直接言われるのではなく要約すると「ずるい」になることを言われるというのが正しく,例えば「あなたより苦しいけど頑張っている人がいるのに」とか「自分の力でお金を得ないと価値がない」とか「他人の金で生活するなんて恥を知れ」等の文言になります。

 

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結論から言うと卑怯ではない。制度なので。

生活保護障害年金を貰うのがズルいという人は結構存在する。Yahoo!知恵袋にいるならまだしも,間接的な知り合いや,SNSにもいる。

これは不正受給についてメディアがよく取り上げるせいかもしれないが,実のところ不正受給はほぼありえない。書類の提出は容易ではないし,審査も厳しい。もちろんもらえたら終わりではなく再審査もある。この手続き自体も病態が悪い中でやるのはかなり辛いことだ。受給者は病気だけでなく更なる苦痛の上で金銭を受け取っている。

それでも平等ではないというなら,もし自分が人生の中で金銭に余裕が生まれた時に他人に配るかどうか考えてみてほしい。配る人は殆どいないのではないか。貯蓄するなり欲しいものを買うなり,自分のために使うだろう。しかし平等を主張するならば,その行為は矛盾している。

年金の考えは平等さから生まれている。生活保護障害年金は最低限の生活をするための補助である。「働きたくても働けない人」に受給するのだ。突然事故に遭って動けなくなるかもしれない,何かしらの原因で大きな疾患を抱えるかもしれない。だれしもそうなる可能性はある。そうなったときのために国全体で平等に助け合っているのだ。働いてないのに金銭を貰える受給者と働いて金銭を得ている人間では苦労が違うという主張はあまりにも表面的である。

本来なら働いて金銭を得るべきだということは理解しているし,働き盛りに働けない屈辱感は物凄く辛い。働いていればボーナスが出て何かを思い切って買うなんてこともあるだろうけど,そんなことは夢のまた夢で,情けなくて泣きたくなったりする。

 

精神疾患は目に見えない疾患であるというのがまた厄介なところである。誰かと会っているときや出かけているときや文字列を書き連ねているようなときは「まあ元気なとき」なので側から見ると遊んでるだけに見える。だから叩かれるのだろうけど,なぜ文句を言う人たちのために毎日毎日元気じゃない生活しなきゃならないのだろうか。

 

少し話が逸れるが,文句を言われるという現象が起こってしまった原因の中に,うつや自殺などの社会問題として理解が広がりそうなタイミングでメンヘラという雑な概念が広まったということがある。これにより精神疾患の中身はスペクトラムであるにもかかわらずほぼ全員が同じようにカテゴライズされてしまった。知識がない人間からすればどの精神疾患患者もファッションメンヘラもおそらく同じに見えるので,「あー、ハイハイメンヘラね」って片付ける人がたくさん生まれ,社会的な理解からはかなり遠ざかった印象を受ける。(実際にファッションメンヘラというものもジャンルとして確立している。)

 

受給者の殆どは国から金銭をもらっているということに対し,制度といえども申し訳ないという気持ちが生まれる。しかしそれは自分の中から生まれる考えだけであるべきだ。心無い言葉を浴びせられて罪悪感を煽られ,申し訳ないと思うことはあってはならない。

あなたも私も自分優先でいい。自分を大切にしていい。何も悪くない。悪いところがあるとすればそれは脳みそだ。

 

(これは悪意のある発言だが,これだけ説明しても意見を曲げずに「ずるい」と主張するならば,国民の義務を放棄して年金を払わないでいられる仕事を探して転職をして老齢年金も貰うべきじゃない。助け合いに参加したくないのに厚生年金を毎月徴収する会社という組織を選択して働いてるのは自分自身ではないか。)