アスペルガーのいぬ

何を考えたか

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※この記事は以前のブログに載せていたものです。

 


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「西新宿 ドトール

 


西新宿のドトールがどこにあるのか,検索した。

とあるビルディングの中にドトールはあった。

 


今日はそこで,友人とお茶をしてきた。

私はアイスコーヒーを一つ頼んだ。220円でそこそこ美味しいコーヒーが飲めるのはドトールの良いところだ。職場の近くにもドトールがあるが,昼休みによく利用している。

なぜ西新宿のドトールなのかというと,わたしがパスポートの受理をするため都庁まで向かったからである。彼女は,新宿駅付近で用事があったため,そこから向かってきてもらった。午後2時のことだ。

彼女は,わたしと同じく障害者雇用で勤務をしている。その中での悩みや,愚痴。あとは,生活について,生きること,死ぬことなど人生を少し分かち合うような話をした。

対面で話すというのは貴重なことである。SNSの発達により,誰かと話すことは簡単になったが,やはり対面で話すのとは異なるものだ。彼女の表情や仕草,話のトーンを噛み締めながら,会話をした。大袈裟な言い方かもしれないが,私はそのくらいに誰かと対面で話すことを貴重に思っている。

彼女はどうやら,いや,ほぼ確信したが,精神を磨耗しているようだった。生きることは難しい。死ぬことも難しい。そういった思想の波に揉まれて疲労しているように見えた。

何か励ますような言葉も見つからず,(そもそも励ますということが正しいのかどうかもわからないし)特に終着点のない会話のキャッチボールを繰り返していた。気づくと時刻は午後4時を回っていた。

ドトールを出て新宿駅まで歩き,JRの改札前で別れの挨拶をした。そこで握手をした彼女の手は暖かかった。生きている。と思った。

彼女はもしかしたら,消えてしまうかもしれない。いつになるかは本人しかわからないけれど,そんなことを考えた。もちろんただの思いつきではなく,会話の内容を鑑みて,思ったことだ。私は死を否定できない。死に甘さによく似た誘惑があるのも知っている。生きることの苦しさもよくわかる。まるで溺れているような感覚。早く陸に上がりたいと思うのは自然なことだ。

その時が来たら,彼女の手は冷たくなるのだろうか。

あの手が,暖かいうちにまた会っておきたい。と強く思った。